子育てしてみてわかったイライラ。虐待は誰にでも可能性がある。

テレビで虐待のニュースをみると、胸が痛くなります。

私にもまだ小さい子供がいるので、被せてしまう。

こんなことできるなんて、「人として考えられない。」「普通じゃない。」と周りの人達は言います。

私もそう思います。

でも、普通ってなんなんでしょう。

ずっと、イライラせずにいつも笑顔で優しいお母さんでいられるほうが普通じゃないとも思います。

そんな神さまみたいな母親になれたら理想ですが、母親だって人間です。

子育てしていたら、

思い通りにならないことばからで、逃げることもできなくて、やりたい事も邪魔をされ、

イライラしてしまうことだらけです。

でも、誰が悪いわけでもないから当たるところもない。

ちょっとしたことですぐ泣かれたり、イタズラしたりされて。自分がやらなければいけないことがあるときや、寝不足のときは特にイライラしてしまいます。

子供は何もわからず、ただ構って欲しいだけなのに。

きっと、子供優先にできたらいいのかもしれませんがそうできない時もあります。

こんな積み重ねが虐待につながっていくのかもしれません。

何度も怒鳴ったり、泣いている子をおいて1人で別部屋にこもったりすることもありました。

そんなことしても、子供は待ってくれるわけもなく余計に泣くだけなのに…

少しして、赤ちゃんを抱いたとききょとんとした顔で私のことを見つめる我が子を見て、

涙がでてきました。

「ごめんね。」と子供に謝り、自分を責める。

でも、またイライラしてしまう。

この繰り返しです。

自分に余裕がないんですよね。きっと。

私の旦那さんは家にいるときは、お風呂やオムツ替え、寝かしつけもしてくれます。

こんなに協力してくれているのに、やっぱり育児が辛くなることもあります。

仕事の大変さもわかりますが、やってみなければわからない育児の大変さもわかりました。

前までは、仕事を頑張ってくれている旦那さんに感謝の気持ちもありましたし、話しを聞いたりすることもできましたが

育児に追われているときは、旦那さんに感謝したり労ったりすることができなくなる時期もありました。

私もこんなに大変なんだという気持ちがあったからかもしれません。

これではいけないと気持ちを改めました。

感謝と思いやりですよね。

私も少しずつ、育児の愚痴を旦那さんに伝えるようにしました。

我が子はこんなに可愛いくて、大好きなのに

たまに1人になりたい。解放されたい…と思います。

なんでなんでしょう。 誰かが一緒にいてくれると子供が泣いても 少し気持ちを落ち着かせていられるのに、 2人きりでいるときに泣かれるとなぜかイライラしてしまう。 そして、2人きりの時に限ってよく泣かれるんですよね^^; 私の友達から、こんなことを相談されました。 「ねぇ、子供可愛いと思う? 最近、子供が可愛いと思えない。義務で子育てしている感じ。 なんで、みんなそんなにニコニコ楽しそうにしていられるの? 私、イライラして子供に優しくできないことばかり。 みんなをみてると私は母親にむいていないんじゃないか、ダメな親なんじゃないかって自信をなくす。」と。 どなりつけたり、枕を投げつけたこともあったそうです。 これは、虐待になるのか…。 投げつけたものも怪我をしない枕だったが、 これが怪我になるものだったり、継続的にこのようなことがされていたら虐待なのか。 ニュースで見る虐待はちょっとひどすぎるが 虐待の基準が難しい。 どちらにしても、この子はそうとう追い詰められているなと思いました。 子育てしていたらイライラしたり、自分を責めたり、何かにあたりたくなったりする。 いつも優しく子供に接しているわけではない。 でも、最後はやっぱり子供が可愛いから頑張れる。 こんなに可愛いのに、子供はお母さんを必要としているのに、その気持ちが消えてしまうなんて悲しすぎます。 そんな風にはなってほしくないです。 子供はどんな親でも、 お母さんが大好きでお母さんが必要でお母さんの愛情を感じたくて、お母さんに認めてもらいたいんだと思います。 私は、最近は子供が泣いても少しくらい放っておいても大丈夫!怪我しても死ななきゃいい!くらいに思うようにしています。 そして、月に1回くらいは飲みに行ったり1人で出かけたり、母親じゃない時間を作るようにしています。 ちょっとそんな時間があるだけで、また子供に笑顔で接することができます。 子供の成長は早く感じても、子育ては長いです。 せっかくですもん、楽しんだもの勝ちですよね。 子育てに正解はないとよくいわれますが、 本当にその通りだと思います。 お母さんと子供が元気ならそれが正解なんだと思います。 周りのお母さんもみんな一緒です。 辛いときは誰かに頼りましょう。辛いと言いましょう。 もう、虐待で苦しむ人がでませんように…。